熊本典道元裁判官

2007. 3. 9「死刑廃止を推進する議員連盟」の院内集会で、熊本典道・元静岡地裁裁判官が、一審当時

     袴田巖さんは無罪だと主張したが2対1で死刑に決まったと告白(テレビ朝日「報道ステー     ション」では2.28に証言を放映)。国内外に衝撃を与える。
2007.6.24  袴田巌さんを救う会、公開学習会(PART10)「それでも、まだ私を有罪 死刑にしたいので     すか」開催。講師:熊本典道(元静岡地裁裁判官)(於・カトリック清瀬教会)
2007.6.25 救う会、最高裁に袴田巖さんの再審開始を求める4,004名の署名(国際署名を含む)を添え     た請願書及び熊本典道元裁判官の陳述書を添えた上申書を提出。記者会見を開く。 (第一次再     審請求)

2010. 5.29    袴田巖さんと熊本典道元裁判官を描いた映画「BOX 袴田事件 命とは」(高橋伴明監督)公開。
2014.2.25 救う会、熊本典道元一審裁判官の陳述書とともに署名1,973筆を静岡地裁へ提出。 (第二次再     審請求)

2014.3.27   静岡地裁、袴田巖さんの再審開始と死刑及び拘置の執行停止を決定。袴田巖さん釈放。

2014. 6. 6    『袴田事件を裁いた男』(尾形誠規著 朝日文庫)出版。

2014.10.8    『袴田事件 裁かれるのは我なり』(山平重樹著 ちくま文庫)出版。
2017.5.22 TBSテレビ「1番だけが知っている」で熊本典道元裁判官について放映。
2018.1. 9  袴田巖さん、50年ぶりに熊本典道元裁判官と面会。(福岡)
2018.2.13 救う会、東京高裁に請願書(署名)と要請文および熊本典道元裁判官の陳述書を添えた上申     書を袴田秀子さんとともに提出。

2020.9.21  テレビ東京「0.1%の奇跡!逆転無罪ミステリー」で袴田巖さんと熊本典道さんについて放映

2020.11.11  急性肺炎のため死去。83歳。

 

 


一審死刑判決時の裁判官が衝撃の証言!

 2007年2月26日報道ステーション(テレビ朝日)

 

「1審静岡地裁の裁判官だった熊本氏は当時29歳、袴田巌さんの無罪を主張したが、裁判長と他の裁判官が死 刑を支持。合議制のため、死刑判決となった。しかも取り決めだからと熊本氏が死刑の判決文を書くことに。自分の子どもや親のことを思い出さない日はあって も、判決言い渡しの時の袴田さんの様子を思い出さない日はないという。1審判決の7ヶ月後、熊本氏は裁判官を辞めた。「袴田事件を一生背負っていかなけれ ばならない」と語った熊本氏は、袴田さんの再審請求にも協力する意向だという。」

 

写真は、国会内で記者会見する熊本典道元裁判官と袴田秀子さん(救う会撮影)   


公開学習会(PART 10)「それでも、まだ私を有罪 死刑にしたいのですか」

 2007年6月24日(日)、カトリック清瀬教会で、無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会の公開学習会(PART10)が開かれました。講師は、一審 静岡地裁で裁判官を務め、2月に、公判当時から袴田巌さんは無罪だと思っていたと告白して社会に衝撃を与えた熊本典道さん。90名近い参加者で、会場となっ たお御堂はいっぱいになりました。熊本さんは、一審静岡地裁での公判の様子、なぜ無罪心証のまま死刑判決を書かざるを得なかったのかを淡々とお話になり、 最後に「私の話を美談にしないで下さい」と会場に訴えかけると、会場からは拍手がわき上りました。時々見せる苦渋の表情が、袴田さんとはまた違った形で人 生を狂わされてしまった、一人の裁判官の心情を垣間見せていました。

(写真 カトリック清瀬教会で講演する熊本典道さん。救う会撮影)


「半生かけた回心と告白:袴田事件の元判事 」

カトリック新聞 April 21, 2017

 

 51年前、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で一家4人が殺された通称「袴田(はかまだ)事件」。〝犯人〟として逮捕され、死刑囚となった袴田巌さん(81)は3年前、冤罪(えんざい)が確定し「死刑執行」が停止された。釈放された袴田さんだが、50年を超える拘禁生活で精神も体もむしばまれた。しかし、この死刑判決は、もう一人の人生も狂わせた。第一審で死刑判決文を書いた元裁判官、熊本典道さん(79)。熊本さんの半生から「事件」を振り返ってみる。

 今春2月11日、福岡教区「福音と平和のつどい」で、袴田さんの釈放後の日常生活を描いたドキュメンタリー映画『夢の間(ま)の世の中』が上映された。会場には、車いすに乗った熊本さんの姿があった。
 脳梗塞、パーキンソン病、がん、アルツハイマー、言語障害を抱えた熊本さんは、簡単な言葉と、泣くことでしか自己表現ができないが、スクリーンに向かって3度「いわお(巌)!」と呼び掛けた。そして映画の最後に制作者の名前が字幕で流れ始めると、拳を突き上げて「ありがとう」と力を込めて叫んだ。
 熊本さんにとって、一番会いたい袴田さんに、スクリーンで会えた感謝の気持ちが、言葉となって表れたのだ。しかし、熊本さんの願いは、直接会って謝ること。そして、静岡地方検察庁が即時抗告をしたことで、先延ばしにされている再審(裁判のやり直し)の開始だ。

 転落の人生
 「袴田事件」で静岡地方裁判所の主任裁判官を務めた熊本さんは2007年、39年間の沈黙の末、ある告白をした。「評議の秘密を守らなければならない」という裁判の「おきて」を破って、真実を語ったのだ。同年6月、「袴田巌死刑囚の再審を求める上申書」で熊本さんはこうつづっている(一部抜粋)。
 「私は、(袴田さんが)無罪であるという心証を持っていましたが、合議の結果、他の裁判官を説得することが出来ず、主任裁判官として死刑判決を書かざるを得ませんでした。しかし、良心の呵責(かしゃく)に耐え切れず、翌年裁判官の職を辞しました。評議の秘密を守らなければならないことは十分理解しておりますが、そろそろ体力、精神力に自信がなくなってきました。袴田巌さんの再審を実現させる最後のチャンスになると思い、非難を覚悟の上、私の無罪心証を公表しました」
 死刑判決を言い渡された袴田さんの「がっくりときた様子」は忘れようにも忘れられず、熊本さんは半世紀、「あの日」のことを思い出さない日はなかったという。
 「あの日」から、熊本さんの転落の人生が始まった。大学卒業後に司法試験にトップ合格し、「人権派」で知られた裁判官だった。しかし、30歳の時、袴田さんの無罪を知りながら、他の2人の先輩裁判官との多数決に屈し、抵抗したが実らず、泣きながら死刑判決文を書いたのだ。半年後、弁護士に転身。大学講師を務めたこともある。
 しかし罪の意識から酒におぼれ、トラブルも絶えず、妻子とも別れ、地位も名誉も財産も全て失い、心と体を病んだ。死に場所を探して日本中を放浪し、何度も自殺を試みた。ノルウェーのフィヨルドまで行ったこともある。1995年には弁護士登録も抹消された。死亡説も流されていた熊本さんが、2006年、福岡県内でホームレス同然の状況で、偶然知り合った島内和子さんに助けられた。
 現在も同県内の老人ホームにいる熊本さんの介護に当たる島内さんは、当時をこう話す。
 「家でも公園でも、ぼーっとしていて、いつも死のうとしていました。海に身を投げようとしたこともあります。電車に飛び込み、血だらけになって帰ってきたこともあります。(熊本さんの)死にたい気持ちは、今も変わらないと思います」
 3年前、熊本さんはカトリックの洗礼を受けた。長年、袴田さんを支援してきた「無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会」副代表の門間幸枝さん(東京・清瀬教会)は、熊本さんの思いをこう代弁する。
 「熊本さんは、袴田さんに謝りたくて、東京拘置所に何度も通いました。でも家族以外が死刑囚に会うことはできません。『ゆるされなくても謝りたい』と、熊本さんは、これまで何度も何度も謝りました。記者に責められ、いつも泣いて謝っていた。今も、当時を思い出して泣くだけです。獄中で(1984年)カトリックの洗礼を受けた袴田さんの気持ちに少しでも近づきたいと、熊本さんは洗礼を望んでいたのです。これほどの悔い改めを見たことがありません」
 2014年前、袴田さんの再審が決定した時、テレビでそのニュースを見た熊本さんは、両手を上げて喜んだ。裁判所の前から門間さんが電話を入れると、受話器の向こうから熊本さんの泣き声がしばらく聞こえていた。そしてその後、熊本さんは威厳と重みのある声で、「(本勝負は)これからだ」と決意を込めて語ったという。
 その言葉通り、静岡地方検察庁が東京高等裁判所に即時抗告をしたために再審は先延ばしにされ、袴田さんは、いまだに〝完全無罪〟にはなっていない身だ。年金も支払われず、姉の秀子さんに支えられ、静岡県浜松市で生活している。
 熊本さんは、アルツハイマーを患いながらも、「袴田さんの再審を!」という言葉を聞くと、拳を突き出し、「闘う」姿勢をとる。
 半世紀前の「袴田事件」。袴田さんと熊本さんの人生を変えた「〝判決〟の日」は、まだ続いている。