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「キラキラ星通信」第101号(2019.12.25)

 

聖エジディオ共同体主催

 

33回「世界宗教者・平和のための祈りの集い2019」に参加して

 

                スペイン・マドリッド 9月1517    

                                              副代表 門間幸枝

発前日に与えられた聖書のみことば「見よ、私はあなたと共にいる。あなたがどこに行っても、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこに行っても、わたしはあなたを守る。わたしは決して見捨てない。」(創世記2815)と、皆様の温かい御支援を賜わり、今年も聖エジディオ共同体主催の「世界宗教者・平和のための祈りの集い」に参加することができました。

 

 

 

開会式の前にあるミサの中で忘れられないできごとがありました。ミサの終り頃、皆で「平和のあいさつ」をします。その時、私の後席のはずれに居る婦人が背伸びして手を差しのべているのです。私も体を向けて精いっぱい手を伸ばして、指先が触れ合い、しっかりあく手した時、その婦人は満面の笑みを向けて「パーチェム!」と言ったのです。ラテン語で平和という意味です。その瞬間、一一月一六日に行われる平和チャリティコンサートの「多摩パーチェムの集い」を思い出し、思わず「オーッ」と声を挙げてしまいました。私も「パーチェム!」と応えなければならなかったのに…です。それから絶えることなく、パーチェムの風に吹かれることになります。その後のオープニングセレモニーでは、終了後、誰も居ないガランとした会場で、二人の若い女性が近づいて来て、「どこからきたの?」「何をしているの?」とたずねられ、私はあわててスペイン語の署名用紙とまたもあのパネル(昨年イタリアのボローニャで見せたアムネスティの写真)を見せたら、二人はペンを出してコメントをしっかり書いて署名しながら、「私たちはアメリカの死刑囚を救ったんだよ!」と嬉しそうに言ってくれたのです。このあと、もう逢えないと思っていたこの二人に二度も逢えたのです。分科会の会場とファイナルセレモニーの会場で、歓声を挙げ、手を広げて駆け寄って来た二人の女性を見て、袴田巖さんが壁に書いたという「幸せの花」を、言葉は通じなくても、黙って美しく咲いている花を見る思いでした。二人は、スペインの聖エジディオ共同体のメンバーだったのです。

 

聖エジディオ共同体は、一九六八年にローマの高校生たちがスラム街の子供たちの勉強をみる活動から始まりました。一九八六年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が諸宗教対話による平和の祈りをアシジで開催し、翌年から、聖エジディオ共同体が引き継ぎ、毎年ヨーロッパ各地でこの集いを続けています。また、死刑問題のシンポジウムを毎年のように日本で開催しています。

 

今年のテーマは、「国境なき平和」です。世界各国から諸宗教代表者たちがマドリッドに集まり、二七のパネル(分科会)に分かれて三日間に亘り世界の諸問題解決へ真摯に学習し議論をしました。私はパネル3の「非武装と非暴力」に参加し、質問の時間に、袴田巖さんと日本の平和憲法九条が危ないことを訴えました。二人のパネリストがうなずきながら、しっかり聴いていることがわかり、とても嬉しく思いました。巖さん、秀子さんを撮影したこともある写真家のソフィア・モロさんが、私のスピーチと九条のプリントを会議室にコピーして届けてくださったので、とても助かりました。そしてソフィアさんからは、免田栄さんと袴田巖さんも載っている立派な写真集をいただきました。

最終日のファイナルセレモニーでは、またも、思いがけないことが…。ステージの横に用意してあるハイビジョンテレビに、式が始まる直前に、突然、あの写真〝焼き場に立つ少年〟が写し出されたのです。会場はどよめき、私たちもアーッと驚きの声を挙げて見つめ合いました。この写真は、一一月に来日されたローマ教皇フランシスコが二〇一七年、「このような写真は千の言葉よりも伝える力がある」として「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えたカードを世界中に広めるよう呼びかけたものです。

 今年も一緒に行ってくださった太田綾子さんと、ご支援いただいたすべての方に心から感謝申し上げます。袴田巖さんはじめ世界のえん罪根絶のため、いよいよ全力を尽して参ります。来年(第三四回)はイタリアのローマで開催されます。

※無断転載はお断りします。救う会までご連絡ください。

 

 

 


「キラキラ星通信」第98号(2018.12.29) 

   聖エジディオ共同体主催                  
      第
32
回「世界宗教者・平和のための祈りの集い2018 

            イタリア・ボローニャ 101417    

                                副代表 門間幸枝 

 「世界宗教者・平和のための祈りの集い」は、今年はイタリア北部の古都ボローニャで一〇月一四日から一七日に行われました。この集いの主催団体・聖エジディオ共同体は、カトリックの聖人アシジのフランシスコの精神を受け継ぎ、一九六八年にローマの高校生たちがスラム街の子どもたちの勉強をみるボランティアから始められ、ローマ市内の下町にある聖エジディオ教会に本部があります。貧者や社会から疎外された人々を積極的に援助し、誰もが食事できる食堂を運営し、第三世界の発展のため、協力プロジェクトを推進しています。

 一九八六年、教皇ヨハネ・パウロ二世の元にアシジで始まった諸宗教対話による「平和の祈り」の集いを、翌一九八七年から引き継いで毎年主催し、二〇一六年のアシジ大会で三〇周年を迎えました。一九九九年、「社会正義と世界平和の貢献に対して」第一六回庭野平和賞を受賞。現在、世界四大陸七〇カ国以上で約六万人のメンバーが活動しています。詳細は、アンドレア・リッカルディ著、千田和枝訳『対話が世界を変える聖エジディオ共同体』春風社)を御参照ください。

 今年のテーマは「平和の架け橋・対話する宗教と文化」。一四日の開会式にはこの集いの主催者ボローニャのマッテオ・マリア・ズッピ大司教をはじめ、イタリア元首相で欧州委員

会委員長を務めたロマーノ・ブローディ氏、ボローニャ市長が出席しました。エジディオ共同体創設者アンドレア・リッカルディ教授は、「橋をかけることで対話が可能となり、平和への道を築ける」と述べられました。ズッピ大司教は、「この街の特徴であるポルティコ(アーケード)のように、平和は誰をも雨風から守り、人々の交流を促します。『平和の架け橋』はこの美しいポルティコのように、全ての人にとって共通の利益なのです。」と語りました。

 

教皇フランシスコのメッセージの中から一部紹介します。

 

宗教というものは、平和の道を歩み続けなければ、自らを否定することになります。宗教は、疲れることなく天と地を結び続ける「御方(おんかた)の名によって、橋をかけ続けることしかできないのです。したがってわたしたちの相違が対立にはなってはならず、真に信じる者の心は、常に、どこにあろうとも、交わりの道を拓くよう励まされています。

 

若者たちのものである未来を共に建設することの緊急性を感じないではいられません。したがって、その上を手に手を取って渡り、心を通わせ合うことができるよう、世代間に橋をかけることが必要です。

 

 このポルティコの道で、私は帰国前日に素晴しい体験をすることになります。(後述)

 開会前夜の一三日、美しい聖ペトロニオ大聖堂で行われたミサに参加することができました。閉祭の歌は、みんなで手話しながら歌ったのですが、意味はわからなかったのに、歌っている皆さんの笑顔が輝いていて美しく、涙があふれてきました。あとで聖エジディオの歌とわかりました。そのあと、たくさんのローソクが用意されているコーナーで袴田巖さん、秀子さん、熊本先生のために三本のローソクに火をつけて祈ることができました。

 

 一五日は、市内各所で二五の分科会があり、私は通訳者の太田綾子さんと第七分科会(諸宗教と生命の価値)に参加。会場はガリレオがいたというボローニャ大学の一室でした。素晴しい大学でした。歴史の香りいっぱいのイコンに囲まれた廊下を歩いていると、タイムトンネルに乗ってきたかのような不思議な感覚に包まれました。教室の壁に描かれた聖画は、剥がれているのもあるのですが、何とも言えない空間になっており、感性豊かな教室で学ぶ学生たちはしあわせだなあと思いました。質問の時、私は手を挙げて、パウロ袴田巖さんの現状を報告し、御支援をあおぎました。一日も早く再審完全無罪を得るため、どうしたらいいかも問いました。学生が多かったので、「えん罪をなくす裁判官になりたい」と救う会の学習会にやってきた小学生と高校生が、中学生と大学生になって、今もその目標めざして頑張っていると紹介しました。話している最中も終ってからも参加者のやさしい温かいまなざしに囲まれ、とても力強く思いました。

 

 一六日は、第九分科会(紛争をなくす)分科会に参加しました。杉谷義純天台宗宗務顧問会会長は、「武器のない世界の創造」と題し発言。その中で「祈りにもとづく対話を通して育まれる信頼関係こそが武器のない世界を実現させる近道である」と提言。「この祈りの集いが、真の平和実現に向けて実り多きものとなることを期待する」と語られました。質問の時間に、「こんなに祈っているのに世の中はますます悪くなっているのは何故ですか?」と若い男性から。続いて、若い難民の女性から「聖エジディオ共同体の助けがなかったら、私は今ここには居ないでしょう…」と証言がありました。これに対し日本の僧侶が「先ずお二人の貴重な質問に心から感謝します」と応答されたのです。私はそのお声とお言葉に心が震えるほど感動しました。私も若い二人の発言に平和の架け橋を感じ、私たちの祈りが足りないことを改めて自覚させられました。

 

 このあと、各宗派ごとに「世界平和実現のための祈り」が捧げられ、各会場から代表者たちが手を取り合ってサン・ペトロニオ大聖堂前のマッジョーレ広場まで平和行進し、閉会式が行われました。

 

 今回初めて参加された中国のカトリックのジョセフ・シェンビン司教のスピーチは、終始笑顔に満ちあふれ輝いて見えました。素晴しいメッセージは次の言葉で結ばれました。

 

最後に、みなさん全員がいつの日か、暖かく歓迎する国である中国にいらっしゃることを切望します。そして(国が)解放されたことがいかに経済的な豊かさをもたらしたか、いかに人々が平和のうちに生活し働いているか、いかに教会が調和のうちに成長しているか、ご覧になってください。みなさんが中国にいらっしゃいますように!

 

 そして、マルティン・ルーサー・キングの娘バーニス牧師のスピーチはネルソン・マンデラのパワー・ツー・ザ・ピープルそのもの、希望と勇気に満ちたファイターのようでした。

 

 「愛は敵を友に変える唯一の力です。愛はわたしたちの心から武器を取り去り、真の対話のための機会を創造する唯一の光線です。

 

ヨハネの手紙1には書かれています。『互いに愛し合いましょう、なぜなら神は愛だからです。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。

 

この「精神spirit」がこの世界の議題、実践事項になりますように! そして愛と正義と真実、他者への仕えに溢れた、新しい世界が訪れますように!

 

この愛を日々生きる決意を持って、わたしたちがこの場所を去ることができますように! ……わたしたちは光の子ら、平和の橋です。……」

 

 祈りの集いは、来年はスペインのマドリッドで開かれます。

 

 一七日、通訳者の綾子さんは親戚に合うためフィレンツェへ。独り残された私は、午前中ホテルに閉じこもりましたが、午後は勇気を出してボローニャの街の特徴であるポルティコ(アーケード)に出ました。しばらく行くと三人のアムネスティ・イタリアの女性たちが街宣していました。近づいても何も話せないので、持参したポスター(数百人の支援者の写真で構成された大きな袴田巖さんの顔を囲んでいるアムネスティ・スペインの皆さんの写真)を見せたところ、「ウワオ!!」と両手を挙げて飛び上り、私を抱きしめてくれたのです。その場で、イタリア語の署名にサインしてくれました。私のつたない英語も通じて、ファイト!ファイト!とコールしてくれました。正に平和の架け橋を実感したひとときでした。

 

今、私は一九九一年の夏、ジュネーブの国連でロビー活動した時に知った国際人権法のパイオニアと言われた久保田洋さんの遺稿集『人間の顔をした国際学』(日本評論社、一九九〇)を読み返しています。その中で、「東と西、官と民の架け橋」という小さなタイトルを見つけました。久保田さんは「第五章 国家の人権基準実施義務」の終りに、「不断の努力の必要性」と題して次のように述べています。

 

「国内的救済をすべて得てきてもうまくいかなかったという場合に国際的な機構が出ていくんだと、その国際的な機構は普遍的に運営されるんだと、こういうふうなことをぜひ考えていただいて、やはり日本の憲法と同じように、われわれの不断の努力によって世界と日本の人権と基本的自由は守られていくのではないかと、このように考えます。日本が自国のことのみに専念してはならないのであって、やはり抑圧や隷従や専制が広まっている世界にあって、不断の努力を通じて日本が名誉ある地位を占めるようになればと、私は毎日ジュネーブから祈っているわけであります。」(『人間の顔をした国際学』二二九〜二三〇頁) 久保田さんはこの本を書き終って、一九八九年六月二八日ナミビア独立を監視する国連独立移行支援グループの担当者として赴任中、不慮の事故により三八才で殉職されました。

 最後に嬉しいニュースです。二〇一六年一一月三〇日(シティーズ・フォー・ライフの日)、ミラノの高校生とスカイプで袴田巖さんについて語り合う機会を作ってくださった担任のシルビアさん(写真)と、分科会の会場で「再会」! 当時、袴田巖さんの再審を求める東京高裁への署名を二〇六筆も送ってくださいましたが、高裁の再審開始取り消し決定を知り、最高裁への署名にも協力したいと申し出がありました。

 

 

 今回の「祈りの集い」のために御心のこもったカンパとお祈りをくださった皆様、そしてシルバー・カーの私を、母親のように守り、御世話してくださった通訳者の太田綾子さん、現地の聖エジディオ共同体のスタッフの皆様に心から感謝申し上げます。本当に有難うございました。 

※写真提供、太田綾子さん。文中のスピーチ訳文は太田さんによる試訳を使わせていただきました。

 

※無断転載はお断りします。救う会までご連絡ください。

 

「キラキラ星通信」第95号(2017.12.26)

 

    聖エジディオ共同体主催

        第31回「世界宗教者・平和のための祈りの集い2017」に参加して

                                    副代表 門間幸枝

 

 今年は「平和への道」を大きなテーマに、九月一〇日から一二日まで、ドイツ北西部のミュンスター、オスナブリュックの両都市で開催されました。世界五〇ヶ国以上から約五〇〇人の諸宗教者、政治指導者、研究者たちが参加。共に祈りを捧げた参加者は、三日間で延べ約一万人と言われています。

 

 一〇日午後にミュンスターランド会場センターで開会式が行われました。ローマ教皇フランシスコによるメッセージが代読された後、アンドレア・リカルディ同共同体創設者とドイツのメルケル首相が基調講演を行いました。

 リカルディ氏は、宗教や文化、価値観の「違い」を理解しようとする精神が置き去りにされたまま、物や資本だけが世界規模で行き交う市場経済の急速な拡大を「魂なきグローバル化」と表現しました。このような現状に対し、友情と祈りによって育まれる精神の対話によって「魂が育つ」と述べ、人々の精神に関わる諸宗教者が、違いを超えて恊働する意義を強調しました。

 メルケル首相は、一六一八年、カトリックとプロテスタントによる最大の宗教戦争といわれる「三十年戦争」を終結させた「ヴェストファーレン条約」が調印されたミュンスター、オスナブリュックの両都市で、同集いが行われる意義を述べました。イデオロギーや宗教の異なるさまざまなコミュニティーを対話によって連帯に導き、政治とは違うアプローチで平和の実現を進める同共同体への期待を述べました。

 一一日と一二日午前には、ミュンスター市内の各会場で、難民、貧困、紛争、テロリズム、軍縮、教育など世界が直面する諸課題をテーマに  二四の分科会が開かれました。

 私は、パネル23「アジアの諸宗教・グローバル市場に対峙する生の尊厳」で、特別に、二分間のスピーチをさせて頂きました(次頁)。このスピーチと署名関係の資料をドイツ語に訳してくださった「殉教者聖ゲオルギオのフランシスコ修道会管区長」のシスター・マリア・テレジダ・ゴールドベックさんから、「毎日祈っています…」との力強いメッセージと共に、たくさんの署名が届いています。この集いで出逢ったドイツ市民の皆さん、カンパして下さった支援者の皆様に心から感謝申し上げます。まことにありがとうございました。

 一二日午後には、オスナブリュックの会場に移動、各宗教ごとに「平和の祈り」を捧げ、閉会式の会場まで平和行進。閉会式では、「平和宣言文」が読みあげられ、昨年アシジで行われた通りの素晴しいひとときでした。来年はイタリアのボローニャで開かれます。

 

 ---スピーチ原稿------------------------------------------------------------------------------------

 

 貴重なお時間をいただき心から感謝申し上げます。

 私は「無実の死刑囚・袴田厳さんを救う会」副代表の門間幸枝と申します。

 袴田厳さんは、二〇一一年、世界で最も長く収監されている死刑囚としてギネス世界記録に認定されました。二〇一四年三月二七日、静岡地裁で再審開始決定が出され、四七年七ヵ月ぶりに釈放となりましたが、静岡地検が即時抗告したため、未だ確定死刑囚のままです。

 私が袴田巖さんは無実だと確信した言葉をご紹介します。

「息子よ、どうか直く清く勇気ある人間に育つように。お前が正しい事に力を注ぎ、苦労の多い冷たい社会を反面教師として生きていれば、遠くない将来にきっとチャンは懐かしいお前の所に健康な姿で帰っていくであろう。そして、必ず証明してあげよう。チャンは決して人を殺していないし、それを一番よく知っているのは警察であって、一番申し訳なく思っているのが、裁判官であることを」(『主よ、いつまでですか―無実の死刑囚・袴田巖獄中書簡』)

 もう待てません。袴田巖さんは八一歳です。一刻も早く再審完全無罪となり、神と人に愛される世界で一番幸せな人生になりますよう願ってやみません。なお再審開始を求める署名にご協力いただければ幸いです。

 ご静聴ありがとうございました。

※無断転載はお断りします救う会までご連絡ください。

 


「キラキラ星通信」第92号(2016.12.10)所収

 

    聖エジディオ共同体主催

     「世界宗教者・平和のための祈りの集い2016」に参加して

                                  副代表 門間幸枝

 

 袴田巌さんを救う会が聖エジディオ共同体と関わることになったいきさつは、故安倍治夫弁護士に紹介された福岡事件の故古川泰龍師と出逢ったことにあります。古川ご一家によって袴田巖さんが聖エジディオ共同体に紹介されました。そして、同共同体主催による日本でのイベントにイタリアから招待状が届き参加したのが始まりです。このイベントの最終日に「死刑を止めよう」宗教者ネットワークが結成され、救う会も賛同団体となります。

 翌年、初代事務局担当の柳下美咲さん(アムネスティ・インターナショナル日本)とイタリアのミラノで開かれた「第18回世界宗教者・平和のための祈りの集い2004」に参加、私は「死刑廃止分科会」で署名活動をしました(「キラキラ星通信」第55号掲載)。

 袴田巖さんの無実を世界中の人々に知らせ、一刻も早く再審完全無罪となるよう祈ってほしい一心でミラノに飛んでから一二年の歳月が経ってしまいました。

 二〇〇七年三月、熊本典道・元静岡地裁裁判官が、一審当時袴田巖さんは無罪だと主張したが二対一で死刑に決まったと告白。国内外に衝撃を与えました。

 二〇一〇年四月超党派の「袴田巖死刑囚救援議員連盟」発足。同年五月、熊本典道元裁判官と袴田巖さんを描いた映画「BOX 袴田事件 命とは」が一般上映されました。

 そして、二〇一四年三月二七日、静岡地裁は袴田巖さんの再審開始と死刑及び拘置の執行停止を決定。袴田巖さんは釈放されました。しかし、同年三月三一日、静岡地検は東京高裁に即時抗告し、袴田巖さんは死刑囚のままです。

 二〇一六年、ドキュメンタリー映画「袴田巖・夢の間の世の中」(金聖雄監督)が完成、各地で好評上映中です。

 袴田巖さんは八〇才になりました。一刻も早く再審完全無罪になり、一日でも長く幸せな日々を過ごしてほしい!!

 昨年、教皇フランシスコさまへお送りした手紙が届かなかったことを知った事務局長のアルベルト・クァトリッチさんが、もう一度チャレンジするよう励ましてくださいました。そこで、お手紙と資料のスペイン語訳はマシア神父さま、イタリア語訳は太田綾子さん、英語訳は安藤 直さまが心よく引き受けてくださり無事アルベルトさんに送ることができました。感謝でいっぱいです。

 巖さんの姉・秀子さんと「負けてたまるか!」の二重唱は勝つまで続きます。どうか皆様よろしくお願いします。

 

 聖エジディオ共同体とは、アシジの聖フランシスコの精神を受けつぎ、一九六八年、ローマの高校生たちが、スラム街の子どもたちの勉強をみるボランティアから始めたNGOで、ローマ市内の下町にある聖エジディオ教会に本部があります。貧しい人々や社会から疎外された人々を率先して援助し、だれもが食事できる食堂を運営、第三世界の発展のための協力プロジェクトを推進しています。またモザンビーク、アルジェリア、グァテマラ、東チモールなど各地の紛争地域の和解を調停した平和活動は広く知られています。一九九九年、「社会正義と世界平和への貢献に対して」、庭野平和賞を受賞しました。

一九八六年、教皇ヨハネ・パウロ二世の呼びかけのもとにアシジで始まった諸宗教対話による「平和の祈り」集会を翌一九八七年から継続して主催し、二〇一六年のアシジ大会で三〇周年を迎えました。現在、四大陸七〇ヶ国で五万人のメンバーが活動しています。詳細は、『対話が世界を変える−聖エジディオ共同体』(アンドレア・リッカルディ著、千田和枝訳、春風社)を御一読ください。

 

今年の九月一八日から二〇日までイタリア中部のアシジで開催された「世界宗教者・平和のための祈りの集い」のテーマは「平和への渇望―対話の宗教と文化」。日本をはじめ、世界六〇ヶ国から五〇〇人余りが参加しました。共に祈りを捧げた参加者は三日間で延べ一万二〇〇〇人に上ったそうです。

開会式は一八日午後、市内の「リリック劇場」で、イタリアのセルジョ・マッタレラ大統領も臨席して行われました。

諸宗教者九人の一人として、ステージに着座した庭野会長(立正佼成会)は、東方正教会の精神的支柱であるコンスタンティノーブル総主教バルトロメオ一世の基調講演や中央アフリカのフォースタン・アーシャンジュ・トゥアデラ大統領の挨拶などに続きスピーチを行い、現在の世界的な気候変動や貧困、水や食料の不足、紛争やテロの頻発といった危機に対し、諸宗教者は自らを内省しつつ、創造的な工夫に取り組む必要性を訴えました。その中で、中国の古典から「一年計画ならば穀物を植えるのがいい。十年計画ならば樹木を植えるのがいい。終身計画ならば人を育てるのに及ぶものがない」と紹介されました。次世代に生きる若者と共に、積極的に参加することによって、新しいアイデアが生まれ、平和を創るネットワークが広がっていく…袴田巖さんの再審完全無罪も、陣痛が始まっているのかも知れないと思えた瞬間でした。

一九日から二〇日にかけて、テーマ別に二九の分科会が市内の教会などで並行的に開催されました。

一九日は第三分科会「今に受け継ぐアシジの精神」に参加。この会でスピーチされた一人は、平和の祈りに一三回参加されている曹洞宗の峯岸正典ご住職でした。アシジの精神が日本の仏教の中にも静かに奥深くしみ込んでいることに改めて感動。ごいっしょにアシジの街を歩いていても、なにげない私の言葉を大切に受け止めて下さる方でした。ここで「優しさに勝る美しさはない」の故古川泰龍師を思い出し、感無量になりました。

 

二〇日は、第二五分科会「刑務所に人間性を」に、太田綾子さんと参加しました。この受付の横で、袴田巖さんの再審を願う署名活動ができました。前日、アピールするポスターがないことに気づき、日本から事務局長の松田さんにメールで送って頂き、太田さんが、パソコンに向いイタリア語のアピール文をつくってくれました。しかし日本と同じく、壁に貼ることはできませんでした。そこで、背の高い太田さんが両手に持って、かなり長い間立っていて下さいました。このポスターを見て、まっすぐ近づいてサインして下さった方は二十数名あり、その中には、ご自分の国で死刑囚と文通している方もいました。残念ながら分科会でのお話は聴くことができませんでしたが、太田さんから心打たれる発言をききました。ウズベキスタンの女性が、「もし、罪を犯した人を許さないならば、それは天国への階段を自分からこわしているようなものだ」と。この分科会では車イスの方もスタッフとして働いていました。シルバーカーの私を見て無言でにっこりあいさつしてくれ、あたたかい気持ちになりました。この日のディナーテーブルで私の直ぐ前に座っていた青年に声をかけたところ、学校の先生で、毎年一一月三〇日にライトアップで死刑の廃止をアピールしているということでした。今年もやるので、そこで袴田さんのことをやれたらいいな…という話になりましたが…このイベント、シティズ・フォー・ライフの日(一一月三〇日)については(注)をご参照ください。世界の二〇〇〇以上の都市が参加して、死刑制度の廃絶のために起こされる運動です。この青年の名はウルデリーコ・マッジ。先日、通訳してくれた太田さんに連絡があり、一一月三〇日、日本時間の夜七時、ミラノの高校生(一八歳)とスカイプで袴田巖さんについて三〇分語り合うことになりました。ミラノでは大きなスクリーンに映す用意をしている、その後は映画「BOX 袴田事件 命とは」を上映するという嬉しいニュースも飛びこんできました。

いよいよ閉会式です。各宗教は指定された場所で祈り、平和行進しながら合流し、聖フランシスコ大聖堂広場のひな壇に向かいます。音楽が止み…アシジ大司教、ドメニコ・ソッレンティーノ、アッシジ大修道院長、マウロ・ガンペッティのあいさつに続き、聖エジディオ共同体創立者(歴史学者)アンドレア・リッカルディのスピーチと各国の証人の証言があり、教皇フランシスコのスピーチを聞き、そして、戦争やテロの犠牲者を偲び黙祷、二〇一六年の「平和宣言文」を発表。子どもたちが登場して平和宣言を受け取り、各国の代表の方々に渡します。その後、各宗教者がキャンドルに火をともし同宣言文に署名し、三日間の集いが閉幕しました。その間、各場面にふさわしい音楽が奏でられ、私は袴田巖さんの写真を胸に、終止厳粛でやさしい風に包まれていました。

出発する前にお送りした私から教皇様への手紙と資料(写真・映画「BOX 袴田事件 命とは」・ドキュメンタリー映画「袴田巖 夢の間の世の中」。そしてイタリア語、スペイン語、英語の署名用紙)は、聖エジディオ共同体の事務局長、アルベルト・クァトリッチさんによってヴァチカンに届けられ、去る一一月三日には直接教皇さまに袴田巖さんのことをお伝えしたというお知らせがありました。素晴しい待降節を迎えています。

この旅の実現のためにご協力頂いたすべての方々に心からの感謝を申し上げます。そして最後に、袴田巖さんが『主よ、いつまでですか−無実の死刑囚・袴田巌獄中書簡』の中で述べている「私はすでに世に勝っている」の原典になっている聖書のことばを味わいながら、ペンを置かせて頂きます。

 

だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難(かんなん)か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。

 

「わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている」

 

と書いてあるとおりです。しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。(新約聖書 ローマ8:28, 32-39

 

(注)The World Day of Cities for Life / Cities against the Death Penalty 二〇〇二年から聖エジディオ共同体が組織した死刑廃止を訴える日で、アムネスティ・インターナショナルなどの人権団体が共催、世界九〇ヵ国以上二〇〇〇以上の都市が参加して、六七〇ヵ所以上のモニュメントがライトアップされ、全部で五七〇〇以上のイベントが催されている。一八世紀末『犯罪と刑罰』で拷問や死刑の廃止を訴え、ヨーロッパ各国の立法思想に影響を与えたイタリアの法学者・啓蒙思想家チェーザレ・ベッカリーア。彼の影響を受けたトスカーナ大公国のレオポルド一世(のち神聖ローマ皇帝レオポルト世)が、ヨーロッパの国で初めて死刑廃止を宣言した一九八七年一一月三〇日を記念している。

 

                                ※無断転載はお断りします救う会までご連絡ください。

 



一審死刑判決時の裁判官が衝撃の証言!

 2007年2月26日報道ステーション(テレビ朝日)
 1審静岡地裁の裁判官だった熊本氏は当時29歳、袴田巌さんの無罪を主張したが、裁判長と他の裁判官が死 刑を支持。合議制のため、死刑判決となった。しかも取り決めだからと熊本氏が死刑の判決文を書くことに。自分の子どもや親のことを思い出さない日はあって も、判決言い渡しの時の袴田さんの様子を思い出さない日はないという。1審判決の7ヶ月後、熊本氏は裁判官を辞めた。「袴田事件を一生背負っていかなけれ ばならない」と語った熊本氏は、袴田さんの再審請求にも協力する意向だという。   


公開学習会(PART 10)    「それでも、まだ私を有罪 死刑にしたいのですか」

 2007年6月24日(日)、カトリック清瀬教会で、無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会の公開学習会(PART10)が開かれました。講師は、一審 静岡地裁で裁判官を務め、2月に、公判当時から袴田巌さんは無罪だと思っていたと告白して社会に衝撃を与えた熊本典道さん。90名近い参加者で、会場となっ たお御堂はいっぱいになりました。熊本さんは、一審静岡地裁での公判の様子、なぜ無罪心証のまま死刑判決を書かざるを得なかったのかを淡々とお話になり、 最後に「私の話を美談にしないで下さい」と会場に訴えかけると、会場からは拍手がわき上りました。時々見せる苦渋の表情が、袴田さんとはまた違った形で人 生を狂わされてしまった、一人の裁判官の心情を垣間見せていました。



半生かけた回心と告白:袴田事件の元判事
カトリック新聞 April 21, 2017

51年前、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で一家4人が殺された通称「袴田(はかまだ)事件」。〝犯人〟として逮捕され、死刑囚となった袴田巌さん(81)は3年前、冤罪(えんざい)が確定し「死刑執行」が停止された。釈放された袴田さんだが、50年を超える拘禁生活で精神も体もむしばまれた。しかし、この死刑判決は、もう一人の人生も狂わせた。第一審で死刑判決文を書いた元裁判官、熊本典道さん(79)。熊本さんの半生から「事件」を振り返ってみる。

つづきは

  http://www.cathoshin.com/news/hakamada-kumamoto-confession/11456